朱塗りの社殿へ、玉砂利の参道がまっすぐ延びる。両側に石灯籠が並び、頭上は燃えるような紅葉。落ち葉が敷きつめられている。紅葉の参道と社殿をイメージした生成ビジュアル(実際の現地写真ではありません)
広島の市街地には6本の川が流れ、約80の橋が架かっています。その東端、JR広島駅の南口から約300mのところにある猿猴橋は、江戸時代には西国街道から広島城下へ入る玄関でした。街の成り立ちをたどるつもりで、朝のうちにひとりで駅の周りを歩きます。
駅南口から約300m。この橋が城下町への入口だった
南口を出て川のほうへ約300m、猿猴川に猿猴橋が架かっています。橋長62.5m、いまの橋の完成は1926年(大正15年)3月です。
広島市の説明では、江戸時代のこの橋は広島城下への入口として西国街道の重要な橋で、参勤交代の大名も通行しました。駅ができたから橋の前がにぎわっているのではなく、街道が川を渡る場所に、あとから駅が置かれたという順番です。駅前の雑然とした一角が、街のいちばん古い入口でもある。そう分かってから見ると、駅と橋がこれだけ近いことが偶然ではなくなります。

川の土手に沿った道。犬を連れた人と走る人が行き交い、手すりに足をかけて準備運動をする人がいる。朝の光が川面で光り、奥に鉄の橋が低く架かる。川沿いの道をイメージした生成ビジュアル
親柱の鷹と欄干の猿。装飾は一度すべて失われている
渡る前に親柱を見上げます。地球儀をつかんで羽ばたく大鷹の像が載っています。欄干に目を移すと、桃を掲げる2匹の猿が透かし彫り風にはめ込まれています。橋の名になっている猿猴は、この地域に古くから根付く妖怪です。妖怪の名が川の名になり、橋の名になり、そのまま町名(猿猴橋町)にもなっています。
ただし、いま見えている装飾は当初のものではありません。1943年(昭和18年)の金属類回収令で、欄干などの装飾品はすべて供出されました。1945年の原爆では欄干の一部が破損しています。装飾が戻ったのは2016年(平成28年)3月、被爆70周年記念事業として1926年当時の姿に復元されたときです。供出をまたいで残った橋そのものと、10年前に起こし直された細工が、一つの橋に同居しています。
橋を渡って猿猴川の河岸へ。駅から徒歩5分の水辺
猿猴橋と猿猴川河岸緑地は、広島県の公式観光サイトの案内ではJR広島駅から徒歩5分です。橋を渡って車道から一段下がった河岸へ入ると、車の音が土手の陰に回り、水の面が視線の下に広がります。
広島市の「水の都ひろしま」構想では、市街地に占める水面の割合は約13%とされています。6本の川と約80の橋という数字を、駅前の一本で先に体で確かめておくと、このあと市内のどこへ向かっても渡ることになる橋が、ただの通過点ではなくなります。
毎年4月には、この橋と猿猴川河岸緑地で「えんこうさん」という祭りが開かれます。橋を渡る「縁」をつなぐ祭りとして案内されていて、妖怪の名を持つ橋が、いまも年に一度その名前で人を集めています。

朝の路地。店先をかがんで拭く人、箱を抱えて歩く配達の人、軒下に立つ人がいる。朝の路地をイメージした生成ビジュアル
駅の西へ徒歩約3分。エキニシは古い民家を改装した店が路地に並ぶ
来た道を戻り、南口の西側に入ります。エキニシと呼ばれる一帯は南区大須賀町、駅から徒歩約3分です。細い路地に、古い民家を改装した店が並びます。二軒の民家をつないだ大きな居酒屋があり、その並びにタイ料理やイタリア料理の小さな店が続きます。1階にカウンター6席だけ、という規模の店もあります。
公式観光サイトの案内では、平日も比較的早い時間から混み、終電を逃さないよう23時ごろに人の流れが落ち着きます。朝はどの店も閉まっていて、看板の灯が消えたぶん、木の窓枠と新しいガラス張りが交互に並ぶ建物の輪郭だけが残ります。夜に来る予定があるなら、明るいうちに一度この路地を通っておくと、どの引き戸が元の民家の入口だったのかが見分けられます。
新幹線口から西へ徒歩15分。饒津神社は城の鬼門の方位にある
駅の北側へ抜けます。饒津神社は新幹線口(北口)から西へ徒歩15分、石畳の参道の奥に拝殿が立っています。
神社の由緒では、天保6年(1835年)11月に現在地へ社殿が造営され、当初は「二葉山御社」と称し、明治元年に饒津神社と改まりました。祀られているのは浅野長政命をはじめ五柱、広島藩主の浅野家です。場所が選ばれた理由も由緒に書かれています。最初に建てられた長政公の位牌堂は、広島城の艮(東北・鬼門)の方位に当たる位置でした。この社の住所は、駅からの距離ではなく、城から見た方角で決まっているわけです。参道のまっすぐさも、そこから先に決まっています。
1945年8月6日、爆心地から1,800mのここは全建物が焼失しました。翌年に仮殿、1949年に本殿、1952年に拝殿が再建され、唐門が復元されたのは2000年です。猿猴橋の装飾が戻ったのが2016年ですから、駅前から歩いて回れる範囲に、戻すまでにかかった年数がそれぞれ違う形で残っていることになります。

古い木の建具とガラス戸に朝の光が当たり、立てかけた箒と鉢植えが並ぶ。奥へ細い路地が続く。古い店構えをイメージした生成ビジュアル
この街の歩き方
エキニシは平日でも早い時間から混み、23時ごろまで人が出るので、店が閉まっている時間に路地の建物を先に見ておくと、夜に一軒ずつの造りが分かります。猿猴橋の透かし彫りは細かいので明るい時間に、饒津神社は新幹線口側なので、駅の南で橋と路地を見てから北へ抜ければ移動が重なりません。
| JR広島駅南口 → 猿猴橋 | 約300m(公式観光サイト案内で徒歩5分) |
|---|---|
| 猿猴橋を渡って猿猴川河岸緑地へ | 橋長62.5m |
| 広島駅南口 → エキニシ(南区大須賀町) | 徒歩約3分 |
| JR広島駅新幹線口(北口) → 饒津神社 | 西へ徒歩15分 |
