水が戻った堀川。階段状の落差をつくって流れを浅く保ち、すぐ脇を遊歩道が走る。/写真提供:KAYA 京都 二条城

京都の中心を南北に流れる堀川は、平安京がつくられたときに開削された水路です。約1200年のあいだ、物資を運び、友禅染の布をすすぎ、街の暮らしを支えてきました。ところが近代に入ると、浸水対策のために流れは止められ、普段は水のないコンクリート張りの水路になります。

その堀川に清流を蘇らせたい——市民の願いから再生プロジェクトが立ち上がり、その一環として2009年、水辺に沿って歩ける全長約1.5キロの堀川遊歩道が生まれました。

新しい道です。けれど道の両側に残っているものは、ことごとく古い。KAYA 京都 二条城から歩いて3分。南の端から北へ向かって歩くと、1200年ぶんの京都が順番に出てきます。

橋の下をくぐって北へ延びる遊歩道と、水辺に置かれたベンチ

橋の下をくぐって北へ。水辺の高さを歩けるのが堀川遊歩道の特徴で、ベンチも点々と置かれている。/写真提供:KAYA 京都 二条城

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Ⓖ 南の端。二条城を築くために積まれた石垣が、そのまま残っている

遊歩道の南側には、二条城の築城時に積まれた石垣が史蹟として残っています。

ここで足を止めて、石の面を見てみてください。いくつかの石には、工事に関わった大名の刻印が入っているものがあります。記号のような、文字のような、浅い彫り跡です。

天下普請でつくられた城では、各地の大名が石を切り出して運び、担当した区画に自分の印を刻みました。誰がどこを積んだのかを示すための印が、400年たったいまも水路の縁に並んでいます。城の中ではなく、城の外側の、歩道沿いで見られるのがこの場所です。

石垣の面に刻まれた記号のような浅い彫り跡

石の面に残る刻印。担当した区画に、工事を受け持った者が自分の印を刻んだ。※記事の情景をイメージした生成ビジュアル(実際の現地写真ではありません)

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Ⓔ 堀川団地と堀川商店街。日本で最初の、店舗つき鉄筋コンクリート住宅

北へ進むと、水路の西側に細長い建物が続きます。堀川団地です。

完成は1950年から1953年にかけて。日本で最初のRC造(鉄筋コンクリート造)の店舗併用住宅として建てられました。一階が店、その上が住まい。戦後まもない時期に、この形が京都で先に試されています。

一階の軒下を歩くと、昭和のレトロ感がそのまま残っているのが分かります。建物はいま「アートと交流」をコンセプトに再生事業が進んでいて、古い店舗の区画にギャラリーやカフェが入りはじめています。

石垣の次にこれが来るのが、堀川遊歩道の面白いところです。400年前の石と、70年前のコンクリートが、同じ水路沿いに並んでいます。

鉄筋コンクリートの柱が並ぶ、店舗の軒下の通路

一階が店、その上が住まい。軒下の通路が、建物の長さぶんまっすぐ続く。※記事の情景をイメージした生成ビジュアル(実際の現地写真ではありません)

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Ⓓ 堀川第一橋。1873年に架けられた、真円の石造アーチ

遊歩道の途中に、石でできたアーチ橋が架かっています。堀川第一橋です。

架設は1873年(明治6年)。西洋の技術が入ってきた時期の橋ですが、伝統的な和風の意匠を継承しながら建てられました。アーチは真円——半円ではなく、きれいな円の一部で組まれています。全国的にも例の少ない石造の真円アーチ橋で、土木学会の選奨土木遺産に選ばれています。

橋の上を渡るだけでは、この形は見えません。遊歩道は水路の高さを歩くので、アーチの足元まで回り込んで見ることになります。石が円を描いて組まれているのが分かるのは、この高さに下りたときだけです。

石造の真円アーチが架かる堀川第一橋

堀川第一橋。アーチが半円ではなく、水面の下まで円が続いている。/写真提供:KAYA 京都 二条城

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Ⓑ 一条戻り橋。あの世とこの世の境界線と呼ばれた場所

遊歩道の北端近くに、一条戻り橋があります。京都でも有数の「魔界スポット」として知られる橋です。

平安中期以降、堀川の西側は衰退が著しく、この橋が「あの世」と「この世」の境界線とされてきました。境を越える場所だったからでしょう、この橋には伝説が集まっています。

式神を呼び出した橋。安倍晴明は、必要なときに橋の下から式神である十二神将を召喚していたと伝えられています。普段は人目につかないよう、橋の下に控えさせていたという話です。

鬼を斬った橋。渡辺綱が美女に化けた鬼・茨木童子に襲われ、名刀「髭切」で撃退したのもこの橋とされています。渡辺綱鬼切伝説の舞台です。

帰還を願って渡った橋。時代が下って第二次大戦のとき、応召兵とその家族がこの橋を渡りに訪れました。「戻る」という名前にあやかって、無事に帰ってくることを願ったのです。

鬼の話と、戦争の話が、同じ橋の名前から出ています。

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Ⓐ 北の終点。式神を操った陰陽師を祀る、晴明神社

遊歩道を北へ抜けた先が、晴明神社です。

祀られているのは安倍晴明。平安期に活躍した、歴史上もっとも有名な陰陽師です。式神を操るなど、その超常的な能力で活躍したことで知られ、いまも小説・映画・アニメの主人公として広く愛されています。

さきほど渡った一条戻り橋の、式神を控えさせていたという伝説。その本人が祀られている場所が、歩いて数分のところにあります。伝説と、伝説の主を祀る社が、一本の道でつながっている——この順番で歩けるのが、堀川遊歩道の北側です。

堀川遊歩道の地図。Ⓐ晴明神社からⒽ桜の区間まで

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堀川遊歩道MAP。Ⓐ〜Ⓗは本文の見出しと対応しています。上が北(晴明神社側)、下が南(二条城側)。本文は南から北へ歩く順です。/MAP原案・写真提供:KAYA 京都 二条城

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歩き方

南から北へ。二条城側の石垣から入って、晴明神社で終わる順番がおすすめです。400年前の石、70年前の団地、150年前の石橋、1000年前の伝説と、時代が行ったり来たりしますが、最後に晴明神社に着くのがいちばん収まりがいい。一条戻り橋の伝説を聞いたあとに、その主を祀る社に着くからです。

全長は約1.5キロ。途中に広場が二か所(ⒸとⒻ)あるので、休みながら歩けます。

季節は、桜・新緑・紅葉。Ⓗの区間は春の桜がきれいです。水辺なので、どの季節も日中より朝のほうが静かです。

KAYA 京都 二条城からは徒歩3分。朝食の前でも、チェックアウト後の荷物を預けたあとでも、無理なく歩ける距離です。

堀川遊歩道
所在地京都市 堀川通(中京区〜上京区)
全長約1.5km
開通2009年
KAYA 京都 二条城から徒歩3分
おすすめの季節桜・新緑・紅葉

堀川は平安京の造営時に開削され、物資の運搬や友禅染などに用いられてきました。近代に入り浸水対策から普段は水のないコンクリート張りの水路となっていましたが、清流を蘇らせたい市民の願いから再生プロジェクトが立ち上がり、その一環として2009年に堀川遊歩道が誕生しています。

この記事について
情報・写真・MAP提供KAYA 京都 二条城 丸山 豊(総支配人)
画像6点のうち2点は、記事の情景をイメージした生成ビジュアルです。該当する画像のキャプションに明記しています