二人がすれ違うのがやっとの細い路地に、小さな灯りと短い暖簾が戸口ごとに下がる。板と塗りトタンと磨りガラスの継ぎはぎの店先から、明かりが床にこぼれる。頭上は低い波板の屋根。仙台の横丁をイメージした生成ビジュアル(実際の現地写真ではありません)

仙台の中心部にある緑は、もともとあったものではありません。昭和20年の仙台空襲でまちの緑は焼け、青葉通のケヤキ並木は焼け野原になった中心街を復興するために植えられたものです。同じ年、焼け跡には露店から始まる横丁もできています。私たちは2人で、昼過ぎから夕方までの半日を中心部の徒歩にあてました。

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「杜の都」の杜は、手入れしてきた緑のこと

仙台市の説明では、「杜の都」の「杜」は自然の森ではありません。神社や寺、屋敷のまわりを取り囲んでいる緑、人々がていねいに手入れをしてきた緑を指します。

約400年前、伊達政宗は家臣に対して、屋敷内には飢餓に備えて栗・梅・柿などの実のなる木や竹を、隣との境には杉を植えるよう奨めました。屋敷林と寺社林、広瀬川の河畔、青葉山の緑が一体となって、まち全体が緑で包まれていました。

「森の都」として観光案内書に載ったのは明治42年。昭和の初めに「杜の都」と表現されるようになりました。

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青葉通を西へ。この並木は復興のために植えたもの

仙台駅から青葉通を西へ歩きます。ケヤキ並木の区間は青葉区中央1丁目から大町2丁目まで。仙台空襲で焼け野原になった中心街を復興するために植えられた並木で、樹齢100年以上の大木もあります。

気づいたのは影の濃さです。時間帯によっては、歩道に落ちる影のほうが車道より暗く、足元に葉の形が細かく落ちていました。

仙台が杜の都と呼ばれるのは、もともとの自然が残っているからだと思っていました。実際は逆です。屋敷林も寺社林も一度焼けていて、今見ているのは失ったあとに植え直した緑です。

広い通りの両側にケヤキが並び、歩道に落ちる影が車道より濃い

広い通りの両側にケヤキが並び、歩道に落ちる影が車道より濃い。足元には細かい葉の形が散る。店先をのぞく人、犬を連れた二人、縁石で待つ人がそれぞれの用事で立っている。焼けたあとに植え直した並木道をイメージした生成ビジュアル

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アーケードで六つの商店街がつながる。横丁の入口はその途中で口を開ける

中心部のアーケードは六つの商店街をつないでいて、定禅寺通から仙台駅までを屋根の下で歩けます。平日の午後でしたが、人の流れは絶えません。学生、買い物客、仕事の途中らしい人。

サンモール一番町商店街には野中神社があります。伊達政宗が城下町の中心地と定め、町割りに使った縄を埋めて建立したと伝えられる神社です。400年前の測量に使った道具が、商店街の中に祀られていることになります。

探していたのは商店街ではなく、その途中で口を開けている横丁の入口でした。明るいアーケードの脇に、急に暗くて狭い道が現れます。その落差が入口の目印になります。

長い屋根の下の明るい商店街

長い屋根の下の明るい商店街。鞄を足元に置いて固まる学生、店先の品を見る人、片手の何かを確かめる人、並んで歩く二人。その脇に、急に暗くて狭い道が口を開けている。屋根の下から横丁の入口が現れる場所をイメージした生成ビジュアル

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文化横丁は大正13年から。名前は映画館から来ている

まず文化横丁に入りました。大正13年に「東百軒店街」として誕生し、翌年に活動写真館「文化キネマ」が生まれたことから、この名前になりました。今は50を超える飲食店が軒を連ねていて、愛称は「ブンヨコ」です。

昼間なので、ほとんどの店は閉まっていました。見えるのは戸の高さ、看板の古さ、貼り紙の重なり方です。何十年も同じ場所で続けている店と、最近入ったらしい店が隣り合っています。折れ曲がった先だけに光が差していました。

つまりこの横丁は、空襲の前からある名前を持っています。大正の映画館の名が、飲み屋の並ぶ路地の名として残っている形です。

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壱弐参横丁は昭和20年開設。二本の横丁に百数店舗

そこから少し歩いて、壱弐参横丁へ向かいました。開設は昭和20年。終戦後に露店から市場が誕生し、80年近く続いています。二本の横丁に百数店舗がひしめき合い、飲食店のほかに衣料品や雑貨の物販店もあります。

気づいたのは、店の戸の位置の近さでした。開いた戸から中をのぞくと、カウンターの向こうに立つ人の顔がすぐそこにあります。間口が狭く、奥行きもない。一人で始めて一人で回せる広さです。

横丁の中には、1980年代まで実際に使われていた手押しポンプの井戸が残っています。市場だった時代に水を使っていた跡です。飲み屋街として見るだけでは分からない設備が、こういう形で残っています。

狭い路地のコンクリートに、長い柄のついた鋳鉄の手押しポンプが立つ

狭い路地のコンクリートに、長い柄のついた鋳鉄の手押しポンプが立つ。柄と注ぎ口だけが手で磨かれて黒く光り、下のバケツの周りがまだ濡れて黒い。飲み屋街になる前に水を使っていた跡をイメージした生成ビジュアル

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二つの横丁を続けて歩くと、街の年代が分かれる

文化横丁と壱弐参横丁は歩いてすぐの距離にありますが、始まった年代が20年違います。大正13年の横丁は映画館の街として、昭和20年の横丁は焼け跡の市場として始まりました。名前の出どころが、そのまま成り立ちの違いです。

営業時間は両横丁とも「店舗による」となっているので、路地の造りや井戸を見るなら明るいうちです。アーケードから一本入るだけで、青葉通の並木と合わせて、失う前と失ったあとが半日で並んで見えます。

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この街の歩き方

仙台駅 → マーブルロードおおまち徒歩約10分
中心部のアーケード6つの商店街/定禅寺通〜仙台駅
青葉通のケヤキ並木の区間青葉区中央1丁目〜大町2丁目
文化横丁大正13年開設・飲食店50店超
壱弐参横丁昭和20年開設・2本の横丁に百数店舗
横丁の営業時間・定休日店舗による(公式表記)

横丁の営業時間は店舗ごとに違うので、路地の造りと井戸を見るのは明るいうちに済ませます。青葉通の並木は影の出る時間帯のほうが道の広さが分かりやすく、アーケードは雨天の逃げ道になるので、先に屋外、後に屋根の下の順にすると天気に左右されません。