長い石段が、建物の裏と裏のあいだを急に登っていく。段は白っぽく、真ん中がくぼんでいる。両側はコンクリートの擁壁、タイル貼りの集合住宅、アルミサッシ、外付けの鉄階段。四谷の石段をイメージした生成ビジュアル(実際の現地写真ではありません)

四谷は、台地と谷がすぐ隣に並んでいる街です。荒木町には、池に向かって落ち込む擂鉢状の地形がそのまま残っていて、その底と台地の上では街の中身が違います。妻と2人、午前中に宿を出て、高さの差をたどりました。

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まず高いところから地形を見る。四谷3丁目駅の上、10階から

最初に入ったのは消防博物館です。新宿区四谷3丁目十番、東京メトロ丸ノ内線の四谷3丁目駅2番出口。開館は9時30分から17時まで、月曜休館で、入館は無料です。目当ては展示ではなく10階でした。ここは防災ラウンジという休憩スペースになっています。

窓に寄ると、街が波打っています。ビルの高さが不揃いなのではなく、建っている地面の高さが違うのです。窓の下で屋根の並びが一段落ち、その先でまた上がります。

街を歩く前に高いところから見ておくと、地図を読むのとは別の準備になります。どこが上りでどこが下りかを先に見ておけば、途中で行くか戻るかの相談が要りません。

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荒木町へ下る。坂道と路地に店が並ぶのは、大名屋敷の庭があったから

四谷3丁目の交差点から南へ入ると、すぐに道が下りはじめます。緩やかな坂道と路地に、小料理屋や居酒屋が軒を連ねています。昼前なので、まだ開いていません。看板の灯が入っていないぶん、建物の形と道の傾きだけが見えます。

この一角だけ道が細く傾いているのには、理由があります。江戸時代、ここには美濃国高須藩主松平家の上屋敷がありました。屋敷内には池泉回遊式庭園が造られ、湧水と玉川上水から取水した大池、それに滝がありました。明治以降、その庭園が景勝地として公開されて「お江戸の箱根」と呼ばれ、それが荒木町の花街としての発展のもとになります。大正から昭和中期にかけて、ここは花街として賑わいました。

つまりこの路地は、商店街として区画されたものではありません。大名屋敷の庭の地形の上に、あとから店が入りました。だから傾いているし、幅もそろっていないのです。

小さな店の並ぶ細い道が、はっきり傾いたまま下っていく

小さな店の並ぶ細い道が、はっきり傾いたまま下っていく。幅はそろわず、塗装コンクリートとタイルとアルミの店先が、斜面に合わせて一段ずつ下がる。シャッターはほとんど閉まったまま。大名屋敷の庭の地形の上にあとから店が入った道をイメージした生成ビジュアル

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擂鉢の底に策の池。玉川上水から水を引いた庭の残り

下りきると策の池です。いまは小さな池が残り、その上に津の守弁財天が祀られています。周りを見上げると、崖のような高さが四方にあります。「池に向かって落ち込む擂鉢状の地形」が、そのまま残っている場所です。

名前の由来は「策の井」の伝承です。徳川家康が鷹狩りの帰りにこの泉水で策——乗馬用の鞭——を洗ったという記録が『紫の一本』にあり、それが池の名になりました。

10階の窓から地形として見たへこみの中に、いま立っています。上から見るのと、底から見上げるのとでは、同じ高さの差が別の情報になります。水の音がして、風が止まります。

すり鉢の底にあたる窪地

すり鉢の底にあたる窪地。いちばん低いところに小さな池があり、脇に石の祠が立つ。四方を石積みの崖と古い木が囲み、屋根はその縁の上にしか見えない。底から見上げると高さの差が分かる場所をイメージした生成ビジュアル

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台地の上の須賀神社。社殿の天井に天保7年の三十六歌仙絵がある

須賀神社は台地の上です。丸ノ内線の四谷3丁目駅から徒歩7分、JR・東京メトロの四ツ谷駅とJR信濃町駅からは徒歩10分。江戸初期からこの地に鎮座する、四谷18ヵ町の鎮守です。

谷を出て台地へ向かうと、道の両側が店から住宅と寺に変わります。同じ10分足らずの距離で、街の用途が入れ替わります。

長い石段があり、下から見上げると上が見えません。石の面が斜めに減っていて、真ん中がくぼんでいます。一度休む前提で上ると決めておけば、下から見上げた高さに気持ちが折れません。

上りきると高台に社殿が建っています。社殿内の天井には三十六歌仙絵があります。天保7年(1836年)に奉納されたもので、絵は大岡雲峰、書は千種有功。空襲の難を逃れて伝えられ、新宿区の指定文化財です。谷の底に弁財天、台地の上に鎮守。高さによって祀られているものが違います。

古い石段の一段

古い石段の一段。面が斜めに減り、真ん中がくぼんでいる。縁に細く苔が続き、落ち葉が数枚。段の端に編み手袋が片方だけ置き去りにされている。石のくぼみと乾いた苔が触れそうに近い。休みながら上る石段をイメージした生成ビジュアル

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距離では測れない街

上って、下りて、また上りました。同じ距離でも、平らな道と起伏のある道は別です。地図アプリの示す所要時間は、この差を教えてくれません。

上に立つと風があり、下りたところでは止まります。四谷は乗り換えの駅として通り過ぎる街だと思っていましたが、通り過ぎていたのは駅であって、街ではありませんでした。

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この街の歩き方

消防博物館新宿区四谷3丁目10番/丸ノ内線 四谷3丁目駅 2番出口
消防博物館 開館時間9:30〜17:00/月曜休館/入館無料
四谷3丁目駅 → 須賀神社徒歩7分
四ツ谷駅・JR信濃町駅 → 須賀神社徒歩10分
須賀神社 三十六歌仙絵天保7年(1836年)奉納・新宿区指定文化財・社殿内天井

先に消防博物館の十階から地形を見て、それから荒木町を下り、策の池の底から須賀神社の石段を上ります。荒木町の店は昼前には開かないので、道の形と傾きだけを見るならこの時間で足ります。上と下を同じ日に歩くと、高さの差がそのまま街の違いとして分かります。(施設情報は二〇二六年九月二十九日確認)